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仙台高等裁判所 昭和38年(う)205号 判決

主文

一  原判決中被告人手塚昂吉、同佐藤浩、同梶浦恒男に関する部分を破棄する。

二  被告人佐藤浩、同梶浦恒男を各罰金二〇〇〇円に処する。

三  被告人佐藤浩、同梶浦恒男において右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

四  被告人手塚昂吉は無罪。

五  検察官の被告人坂根茂、同千葉直人、同手塚信次、同阿部忠正、同手塚昂吉、同大沼広行に対する各控訴ならびに被告人坂根茂、同千葉直人、同手塚信次、同阿部忠正の各控訴は、いずれも棄却する。

六  原審における訴訟費用中、証人岡本二三男、同金子三治郎、同前田利男に支給した分は被告人佐藤浩の単独負担、証人秋田恂、同伊沢寿昭、同菊池節に支給した分は被告人梶浦恒男の単独負担、その余の訴訟費用は、被告人佐藤浩について、他の被告人の関係において取り調べた証人佐藤浩に支給した分を除いて、被告人佐藤浩、同梶浦恒男の両名と被告人坂根茂、同千葉直人、同手塚信次、同阿部忠正の連帯負担とし、

当審における訴訟費用中、証人山下祐治、同後藤茂男に支給した分は被告人佐藤浩の単独負担、証人伊沢寿昭に支給した分は被告人梶浦恒男の単独負担、その余の訴訟費用は、証人片岡信之、同門屋勝男、同中島文夫、同樋渡信悟に支給した分を除いて、被告人坂根茂、同千葉直人、同手塚信次、同阿部忠正同佐藤浩、同梶浦恒男の連帯負担とする。

理由

≪前略≫

(一)  国公法一一〇条一項一七号にいう「何人たるを問わず第九十八条第五項前段に規定する違法な行為の遂行を……あおり」の意義内容について、

国公法九八条五項は、「職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない」と規定し、同法一一〇条一項一七号は、「何人たるを問わず第九八条第五項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又は、これらの行為を企てた者」は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処すると規定している。かように、国公法は国家公務員の争議行為、怠業的行為を禁止しているが、公務員の争議行為、怠業的行為そのものについては、罰則規定を欠き、公務員の争議行為怠業的行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおり、またはこれらの行為を企てた行為についてのみ罰則規定を設けているのである。すなわち、国公法は、国家公務員の争議行為、怠業的行為を禁止しながら、これを処罰の対象としないで、その前段階的行為であるこれら行為に関する「共謀、そそのかし、あおり、これらの行為の企て」の行為を可罰的と評価し処罰の対象としているのである。

(1)  本件においては「争議行為」の遂行をあおつたことが問題とされているので、まず、国公法九八条五項の規定する「争議行為」について考察するに、同条項は「同盟罷業、怠業、その他の争議行為」と規定するのみで、特に争議行為の定議づけをしていないが、同条項において争議行為を禁止した趣旨は、後記(第六)のように、国民全体の奉仕者である国家公務員が責務を懈怠し、国民との間の信託関係に背くような危険を防止する点にあると解されるので、団体的行動でないものは含まれないが、公務員の団体的行動として、当局側の管理意思に反し、国の業務の正常な運営を阻害するが如き行為は、経済的要求等労働条件に関する通常の争議であると、いわゆる政治ストと呼ばれる争議であるとを問わず、すべてこれに含まれ禁止の対象となるものと解する。

(2)  つぎに、国公法一一〇条一項一七号の「あおり」行為について考察する。前記のように、国家公務員の争議行為は禁止されているが、国公法一一〇条一項一七号は、国家公務員の争議行為の実行行為者を処罰の対象としないで、争議行為の前段階的行為であるその遂行の「あおり」等の行為をした者を、何人たるを問わず、処罰の対象としているのである。そこで右規定は、どの程度の右行為を処罰の対象としているかを、つぎの諸点を考慮して検討する。後記(第六)のように、憲法二八条の勤労者中には公務員も含むものと解すべきであり、したがつて国家公務員も原則的には労働基本権の保障を享受すべきものであつて、公共の福祉との調和上制限をうけるのはやむを得ないとしても、それは最小限度にとどめらるべきものであること、労働運動がまず刑罰から解放された歴史的経過、国公法が国家公務員の争議行為自体を処罰することにしなかつたのは以上の点を十分考慮していることがうかがえること、争議行為が実行される場合には、その前段階において、その実行に関し、討議、説得、伝達等の行為が当然行なわれるものであること、前記のように、国公法は、争議行為の実行行為自体は処罰の対象とせず、その前段階的行為であつて、本来はその性質上予備の段階に層すると考えられる「共謀し、……またはこれらの行為を企てた」行為および、従犯ないしは教唆犯的行為と考えられる「あおり、そそのかし」の行為を独立な可罰的行為と評価して処罰の対象としているが、これは、地方公務員法三七条一項六一条四号にこれと同様の規定があるほか、刑事立法上多く他に類例をみない極めて異例な規定であること、それにもかかわらず、これを処罰の対象としたのは、これによつて国家公務員による争議行為の実行が行なわれないことを意図したこと等を総合して考察すると、国公法一一〇条一項一七号の規定の趣旨は、同号に掲げる行為に該当する以上、すべてこれを単純かつなんらの吟味も加えることなしに、可罰性あるものと評価しているものではなく、それは、これらの行為の性質、手段、態様等からして争議行為の実行に影響を及ぼすべき高度の蓋然性をもつ程度に強度の違法性を帯びるもので、これらに刑罰を科することが、公益上当然であるとされるものに限つて処罰の対象としているものと解するのが相当である。しからば、このように強度の違法性を帯びる場合とは、どのような場合であろうかというに、それは、各具体的事案において前記の規準に照らして判断すべきであるが、ここでは、本件に必要な限度において、考察するにとどめる本件で同号違反の「あおり」行為を行なつたとされている。被告人は、被告人阿部、同手塚昂吉、同大沼(ただし、被告人大沼は原判決では無罪、被告人手塚昂吉も後記の如く無罪)を除いては、本件で問題とされている争議行為の実行者である裁判所職員からみれば、すべて部外者たる第三者であるところ、一部の裁判所職員自体が禁止されている争議行為をあえて行なつたことにつき非難さるべきことは当然であり、これを全司法労組という組合の立場からいえば本来自主的、自律的であるべき労働組合員がこれによつて争議行為を行なうに至るが如きは、自主性の喪失以外のなにものでもないというのほかない――それだけ、外部の組織の力に強く影響されたというべきであろう――が、それはそれとして、本来裁判所職員でなくなんら直接の利害関係をもたない第三者――公務員であると否とを問わない――が、外部から入つてきて圧力をかけ、その争議行為に容喙してその遂行をあおり、その結果国の重要な機関である裁判所の業務の正常な運営を阻害し、憲法で保障されている「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」という重要な国民の権利を侵害するが如き事態を招来する危険性のある行為については、まさしく、前記規準に照らして、争議行為の実行に影響を及ぼすべき高度の蓋然性をもつ違法性の強度なものというべきことは、なんら疑いの余地がなく、そしてたとえ全司法労組所属の組合員である裁判所職員といえども、これらの外部の第三者と共謀して右のあおり行為に加功し、よつてあおり行為を実行したと認められる以上、強度の違法性を帯びる点において同一の評価を受けるべきものと解すべきである。そして、かようにかんがえれば、前記の第三者については、もちろん、裁判所職員であつても、右の第三者と共謀してあおり行為に加功したとみとめられる以上、その行為が本来処罰されない争議行為の実行に通常不可分な随伴的行為であるとか、上部からの指令の伝達行為にすぎない等の理由で可罰性がない等の所論は、すべてその前提において失当たるを免れないことに帰する。なお、原判決は、付言(1)において争議行為を「あおる」行為とは「特定の行為を実行させる目的を以て、文書若しくは図画又は言動により人に対しその行為を実行する決意を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長させるような勢のある刺戟を与えること」をいうと解しているが、「あおり」の一般的概念は、まさしくそのようなものであるが、国公法一一〇条一項一七号の「あおり」行為の可罰性については、前記のように理解すべきものである。

(二)  共謀共同正犯について、

いわゆる共謀共同正犯による犯罪の成立を認めること、およびその成立要件については、既に最高裁判所の判例が存するところである。すなわち、共謀共同正犯が成立するには、「二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よつて犯罪を実行した事実が認められなければならない」(最高裁判所昭和三三年五月二八日大法廷判決、同裁判所刑事判例集一二巻八号一七一八頁)とされるのであつて、いわゆる実行共同正犯の場合とは異なり、単に意思の連絡や意思を共通にした程度では足りないのであつて、二人以上の者の間に右のような内容の謀議が存することを必要とするのである。当裁判所も右判例の見解と同様に右の要件をみたす意味において共謀共同正犯の成立を認めるものである(以下右の意味での共謀共同正犯における「共謀」を「謀議」という)。もつとも、国公法一一〇条一項一七号の「あおり」行為の性格は、前述したとおり、本来は、従犯的行為と解されるべきものであつて、かような場合にまで共謀共同正犯理論を拡張解釈してよいかどうかについては議論の余地がないわけではないが、国公法一一〇条一項一七号は、「あおり」行為を独立な可罰的行為として行罰の対象としているのであるから、この場合にも共謀共同正犯理論――正確にいえば共謀共同従犯的理論というべきであるが、以下共謀共同正犯ないし共謀共同正犯理論として取り扱う――の適用があるものとして論ずることとする。≪以下―省略≫(斎藤寿郎 小嶋弥作 杉本正雄)

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